「蝶々夫人」というのはとても難しい、と
聞いたことがあります。
だからなかなかいい舞台が出来ないのだ、とも。
そもそもおばちゃん歌手(失敬!

「15歳である」という設定には無理がある

それはまあ、致し方が無いとして。
でもね。
フォローができないわけでもないと思うんです。
今回の蝶々さん。
中国人だったんですが、黒髪のアジア人であれば
何でもいい、と思ったのでしょうか。
しかし私に言わせれば、
似合わないカツラをかぶったミレッラ・フレーニの方が
見た目的にもずっと、説得力がありました。
彼女の着物さばきは、普通にみっともな過ぎでした。

それにピンカートンとも共通していたのですが、
声の表情とか表現の変化が狭い、というか
2種類ぐらいしかないので、
どの場面を歌っていても、全部同じで退屈この上ない。

怒っていても喜んでいても手足の動きまで同じだから、
芝居としてもなってないし。

重要な二つのアリアも、線が細過ぎて
迫力にも盛り上がりにも欠けているし、
「世間知らずの15歳」らしく「無邪気」そうに
振舞おうとしているんでしょうけど
残念ながら、ただの「オツムのお弱いお方

にしか見えないんです。

シャープレスも、もうちょっと
何とかならなかったのでしょうか。
軽薄なピンカートンに対するこの人の存在が、
蝶々さんの救いがたい悲劇を緩和する・・・はず
じゃないんですかね?
なのに、その存在感の薄さは一体なんですかっ

全然救いに見えないんですけど。
スズキも・・・
あのね、日本の女中さんはご主人様(蝶々夫人)が
話しかけているときにソファーにふんぞり返ったり
するわけがないんです。。

声量もなくて冴えてないし。
シャープレスとピンカートンとスズキの3重唱の時、
1階パルケット席(平土間席)なのに、
声がほとんど聞こえませんでした。

それってすごくないですか


本当にこの人だけは・・・という歌手が
一人もいなかったのです。
舞台がとてもよく見える席だというのに、こんなにも
一生懸命視線をそらさねばならないなんてっ


歌手の声がよく聞こえる(はずの)席だというのに、
こんなにも一生懸命
「お願い、黙って!歌わないで!引っ込め〜〜


と思わなければならないなんてっ


指揮者のカルロ・リッツィはチューリッヒ歌劇場の
常連指揮者の中でも特に、私のお気に入りマエストロで、
大変素晴らしい

リズム感がとても良いので、特にヴェルディの刻みが
私は気に入ってるのですが、
彼はプッチーニもすご〜く上手いっ

そのリッツィとオーケストラは
大変大変、素晴らしく

舞台に幕が下りた状態での間奏曲の時は
とても感動的でドキドキ

最後に蝶々夫人が自殺する時も、
前奏で緊張感がいやがうえにも盛り上がって

蝶々さんに子供が駆け寄って・・・
でも・・・嗚呼唖・・・!!!
蝶々さんが歌い出したら、せっかくの緊張が
急降下


ほんとうに、悲しくなってしまいました。

だから、どうしても拍手する気にならなかったんです。

今回の舞台はとてもとてもとても、
残念で仕方ありませんでした。

こんなこともあるんですねえ。。
(「今回の」悪口、これにて終了・・・


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