ルイザとミラー親子が余りにも素晴らしかった

その影でちょっとかすんじゃってた

尻あがりに調子を上げてきた

歌ったのはファビオ・アルミリアート氏。
イタリアのディーバ、ダニエラ・デッシー(2009年9月)
の旦那様ですね。
プロフィール用の写真は一見、いい男風

舞台上で動いたり、汗かいたりしているリハーサル写真は
もじゃもじゃ頭のひげ面が暑苦しくて・・・
ちょっと、む?と思ってました。。

そして幕が開いて。。
休憩の前は、声はいい


お芝居も、あなたは今どっち向きに動きたいんですか?
と聞きたくなるほど、
意志と感情と行動がバラバラ分解して見える

例えばですね。
無実のルイザを捕らえようとした、父ワルター伯爵に対して
怒っている


目を逸らして声だけ聴くと確かに怒っている

目を向けて観てしまうと、彼は
いわゆる「オペラ的」な(「芝居がかった」の意)怒れる動きを
全然しないので、何となくのほほん

どう頑張っても怒っているように見えない・・・。


この人、大丈夫なのかな〜?


休憩後、いきなり良くなりました



今回ロドルフォの役は役デビュー

もしかして緊張


休憩後にちょっと?と思ったのは
一番最後の幕で、毒を飲んでしまった後の場面だけ。
張り切り過ぎちゃったんでしょうかね。
ホントに、なんか、飲んじゃった??

と思うぐらい、突然高音がかすれ、

息も絶え絶え

あれは演技だったのでしょうか?
それとも体力配分の失敗だったのでしょうか、
単なる事故(?)だったのでしょうか??

でも良かったですよ。

特に、第3幕で、
捕えられた父親を助けるために、恋人ルイザが別人(ヴルム)宛てに
無理やり書いた(書かされた)偽ラヴレターを読んで、
ルイザの背信を嘆くアリア「星の瞬く静かな夕に」なんて
結構名演だった


演出が邪魔をしてくれた


今回の演出はDamiano Michieletto。
シンプルな舞台と衣装はとてもいい

歌手が歌っているバックに、やたらと映像

例えば2幕でワルター伯爵とヴルムが
ルイザの偽手紙を利用して二人の恋を諦めさせよう、と企む場面。
背後の壁面に、
「森の中を歩きながら、自分が踏みしめた下草を撮り続けた」
ような葉っぱの白黒映像

無意味にバックが動き続けるから目にうるさいったらありゃしない。

実際、白い衣装を着ていたワルター伯爵が、
どこに立っているのか見えない

あの写真、なんの意味があったんでしょうか??

このロドルフォの決めアリアの時も、
背後の壁に、ルイザの偽手紙の文面がイタリア語で
今、彼女が書いているかのように浮かび上がって行くんですが、
これがまた、実にうっとうしい。。

ロドルフォの真後ろはドアになっていて、しかも開いていたので、
壁に映った手紙の文面がちょん切れている


それに最終幕。
ロドルフォがこっそり水差しに毒を仕込んで自分も飲み、かつ
ルイザにも飲ませる場面。
緊迫した音楽の中、二人の背後にまたしても
「水にインクを落として撹拌していく様子をスローモーションにした映像」
を流すんですよね。

いや、分かりますよ。
毒が体内にまわって来ている・・・って言いたいんでしょう?
だけどですね。
演出家がそこまで説明してくれなくても
アルミリアートとフリットーリの二人の声と演技だけで、
観客にも十分、毒がまわってきていることが分かるんです。
はっきり言って、大きなお世話っ




せっかく舞台装置とかがシンプルなのに、
その余計な写真演出

とてもとても、もったいなかったです。

それにしても、このロドルフォって、しみじみ迷惑な男

大体この男が名前と身分を偽ってまで、
ルイザと恋仲になったりするからいけなかったんじゃないですか。
ルイザが別の男を愛している・・・という偽手紙を一通書いたからって、
それを読んで激高したからって、
普通、毒殺まで、します??

単なるフラレ男の逆切れ

お前が一人で死んだら全てが解決するじゃないか〜


と思ってしまう私はロマンが足りないのでしょうか・・・。

最初の登場シーンでルイザがパパ・ミラーに向かって
「彼(ロドルフォ。この場面ではまだ名前を偽っていて、自称カルロ)は
あなたのことを本当の父親のように愛しているのよ」
と言ってたけど、私に言わせれば、それ嘘


ルイザの背信に対して復讐するため、
なんぞという自分の身勝手で、
その「父親のように愛している」ミラーから
娘を奪って殺すなんて・・・。
やっぱりイヤな男

アルミリアートのせいじゃ全然ないんだけど、
私はやっぱりパパ・ミラー=ヌッチ


(続く)

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