2020年09月05日

きっかけはどこに転がってるか分からない

【サタデーナイトデュオ No.6】

サタデーナイトデュオ 6.jpg
本日はブラームス作曲、ハンガリー舞曲です。
ブラームスの作曲した曲の中でも最も有名なものの一つ、
と言ってよいでしょう。

このハンガリー舞曲集は、現在でも
大変な人気を誇っていて、
ピアノ独奏版、オーケストラ版、
ヴァイオリン版、ギター版、等々、
様々な室内楽編成様にも編曲されています。

ブラームスは北ドイツ、ハンブルクの
貧しい家庭に生まれましたが、
両親は彼に、音楽も含めた質の高い、
十分な教育を受けさせました。

先生にも恵まれた天才少年は、幼いころから
ヴィルトゥオーゾ・ピアニスト(超絶技巧を持つ演奏家)
として、ハンブルグで着実に名声を築いていました。

そして20歳直前のブラームスの住むハンブルクに、
ハンガリーのヴァイオリニスト、
エドゥアルド・レメーニが訪れてブラームスと知り合い、
ブラームスをピアニストとして
ドイツ各地への演奏旅行に連れ出すことになりました。

この旅行はブラームスの名声が世界的に広まっていく
きっかけともなった重要な旅行でした。
そしてこの旅の時、ブラームスはレメーニから
ジプシー音楽、つまり、ロマ民族の音楽を
教えてもらい、感銘を受けます。

残念ながら、内気で内省的な性格のブラームスと
何事も派手めでハッタリの強い性格のレメーニは
とても気があったとは言い難く、演奏旅行の途中で
コンビを解消する羽目になってしまいました。

しかしこの旅行以来、ブラームスはジプシー音楽を
ハンガリーの民族音楽と信じ、
楽譜の無いジプシー音楽の採譜、
(耳コピしたメロディーを楽譜に起こす作業)
を続けていきました。

そしてブラームス36歳の時、ピアノ連弾版の
『ハンガリー舞曲集(第1集5曲、第2集5曲)』として
このジプシー音楽が日の目を見たとたん、
爆発的な人気を得ることとなりました。

そもそも当時のヨーロッパではピアノ連弾という形態は
とても人気があったんですよね。

ところが、この曲集が大成功したのを見たレメーニさん、

「あのメロディーは(俺が教えてやった)ジプシーの音楽だ。
あれはブラームス作曲ではない、奴の『盗作』だ!」

と言い出して、裁判でブラームスを訴えてしまいます。
人気になった途端に何か言いだす人・・・
いるんですね〜いつの時代も、どこの国でも(笑)

もっとも、ブラームスの方は、
これが自作の曲ではなく、
民族音楽の編曲であることをキチンと心得ていて
楽譜に『編曲』と書いていたため、
ブラームスが勝訴、レメーニは敗訴、となりました。

そんなセコイことしなくても、
ちゃんとヴァイオリニストとして
有名だったのにねぇ、レメーニさん。
1886年には日本に演奏旅行に来て、
明治天皇の前で御前演奏もなさっているんですってよ。

当時の新聞に

「中年を越えたる年輩にして頭は半禿げ眼光鋭くして
一見して其技芸の達人たる容貌を備へたり」
「絶技のワイオリン(ヴァイオリン)を奏したるに
序破急の調子の妙なる聴くものをして茫然たらしむに及へり」

という記事の記録もあるんだとか。(Wikipediaより)

頭は半禿げ、って・・・笑笑笑

さてさて、そんな経緯も含めて、
ますます有名になったハンガリー舞曲。
その中の第1集から第2番をお聴きくださいませ♪


posted by Duo A&K at 20:00| Comment(0) | Youtubeサタデーナイトデュオ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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